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作品を見る・聴く

作家によって作品の画像/音を鑑賞できる場合と展示作品の紹介のみの場合があります。

ミヒャエル・エンデの名作『モモー時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 』の主人公は、現代の人間たちが失ってしまったものを持つ少女である。周囲の人たちが魅力を感じる、あるいは恐れる、その少女モモが持つ不思議な力とは、相手の話をじっと聞き続け、話し手に自分自身を取り戻させるものだった。
私たちが耳を傾けるのは、なにも人間が相手とは限らない。手と思考を止めて、じっと何もしないまま数分間、周囲の音に耳を傾けてみてほしい。明確に聞き取れない会話、風に揺れる葉音、何かが落ちる物音、やや遠くにエンジンの音、と次々に聞こえる音のリストはずっと続く。その時間が長く続くにつれ、何を聞いたかを言葉にできる範囲が限られている事実にも気づくだろう。聴こえているはずなのに意識にあがらないものは少なくない。世界は音で溢れている。無数の聴かれることのない声が響いている。

この現実世界では、予想できない出来事や自分とは異なる知識や経験と向き合うことが繰り返されている。複雑かつ偶然に満ちた運命を人間が生きていることを深く理解した芸術家にジョン・ケージがいる。私たちは彼の創作を通して聴く行為の豊かさを知る。ケージは私たち=聴く者が偶然の世界を生き抜く力を信じていた。 芸術だけでなく、これまで科学、政治、医療、教育の分野でもさまざまな聴くための実践が繰り返されてきた。知らない土地や文化を対象にした人類学者たちのフィールドワーク、文書だけでなく聞き取りを通じて政治家への調査をおこなうこと、患者と医者あるいは生徒と教師の関係性を抑圧から解放する工夫など、これまで数多くの試みが言語と政治に関する考察によって導かれてきた。発話、声、物語の役割に着目することによって、この複雑な世界と向きあう手法は、まさに実践の現場から生み出されてきた。

また美術館や音楽ホールのような制度内における作品への理解や評価とは別に、専門家とは言えない幅広い人たちが関与する芸術祭やアートプロジェクトが人々の共同や共生のための行動を喚起する理由もこれらと関係していると思われる。アーツ前橋では、そうした地域と関わるアートプロジェクトを実施することを通して、前述した声、物語、ケアなどの問題と関わってきた。その経験から私たちは、複雑な出来事を縮小させず、複雑なまま人々が感受できるようにすることの重要性を学んだ。それは、近代の浪漫主義的主体が自己完結的に作品や作家の役割を規定してきたのとまったく異なり、非決定性と向き合うことを要請する。つまり中心を自己の内部ではなく、外側に持つような実践が、この世の中でいろいろな生き物たちと共存するためには不可欠のように思われるのだ。ぜひこうした聴く行為が持つ可能性を内包した作品を通して、複雑な世界の響き合いに耳を澄ませる時間を過ごしてください。

住友文彦

言葉にならない声を聴く

中村 美亜(九州大学・芸術社会学)

今を過去で聴く

野村誠の《春の玉川上水》を聴き始めると、ふと、名古屋の実家に住んでいた頃のことを思い出した。実は、作曲家の野村誠と私は同じ中学校に通っており、同期だった。当時、私は中学校に行くのがたまらなく嫌で、音楽を聴くことが唯一の慰みになっていた。それは、音を楽しむというより、現実からの逃避に他ならなかった。音楽に没入しながら未知の世界を夢想し、その中に理想の自分を思い描いた。アーティストの社会での生きづらさや「変人」ぶりを知ることで、安堵を覚えることもあった。聴くことは、生きる上での救いだったのだ。

親の話によると、私は赤ちゃんの頃から音楽を聴くが好きで、童謡のSPレコードを溝がなくなるまで聞いていたという。たしかに、小学校に入ったばかりの頃だろうか、毎日のようにLPレコードをかけて、それに合わせて体を揺らしながら歌っていた記憶がある。子供の頃、テレビで何度も再放送されていたアニメ『トムとジェリー』に、音楽を聴くと、何をしていても踊り出すネズミの話があった(「ワルツの王様」)。私はそれにあやかり、音楽を聴くとからだが自然に動き出す現象を「踊るネズミ病」と呼んでいるが、私はこの「踊るネズミ病」に幼い頃から取り憑かれていた。音に合わせて体を動かすのが気持ちよかったのだろう。

しかし、そうした音に対するポジティブな思いは、年を経るごとに変わっていく。今でもよく覚えているが、アメリカに留学していた頃、何人かの友人と家で音楽を聴くことがあった。たまたま「日本的な音楽は何か」という話になった。当時、彼らが日本に抱く音のイメージは、雅楽、能、歌舞伎などの伝統音楽だった。しかし、私はこうした伝統音楽に馴染みがなかった。かと言って、欧米から移入されたクラシック音楽やジャズ、ロックも違う。そこで、武満徹の《うた》というアカペラ(無伴奏)の合唱曲集のCDを聴かせた。雅楽の笙とジャズのブルースをかけ合わせたようなハーモニーに、高度成長期の中流家庭を思わせる歌詞がのっている。すると、カナダ人の友人が「私には日本的というのがわからない。たしかにフォーク(民俗)調だけど。ロシアっぽくもある」と言った。自分では「これぞ日本」と思って聞かせたのに、それがまったく理解されなかった。

人は記憶を頼りに音を聴く。音の記憶が共有されていなければ、音に対する印象は異なったものになる。日本にいる時には、阿吽で通じ合えていたものが通じなくなるのも無理はない。それまで、いかに暗黙の了解をもとにコミュニケーションをしていたかを思い知った。

記号学では、芸術のコミュニケーションをイコン(類像)、インデックス(指標)、シンボル(象徴)の3つの方法を基本に考えるそうだ*1。たとえば、「山」という漢字を見て山と認識したり、鳥の鳴き声に似ている音型を聞いて鳥を思い浮かべたりするのがイコン(類像)だ。一方、ピーポーピーポーという音を聞いて救急車を、ウーウーという音を聞いてパトカーを思い浮かべたりするのがインデックス(指標)。鳴っている音と、音を出しているものは類似していないが、過去の経験から両者が結びつく。最後のシンボル(象徴)は、チャイムが鳴ったら授業終了というような決まりごとを指す。言語コミュニケーションでは、シンボル(象徴)の占める割合が高いが、芸術による非言語コミュニケーションでは、イコン(類像)やインデックス(指標)の割合が高い。

つまり、音楽のコミュニケーションでは、音に対する過去の記憶(意識だろうと無意識だろうと)が重要な要素となる。人は、今、鳴っている音を、過去の経験を通して聴くのだ。だから音楽は、その音楽を理解する人と理解しない人との間の分断を生み出す。


当事者の声を聴く

音楽ではないが、通じ合えないという思いを強くしたのが、東日本大震災後に行われた被災地住民と中央政府の官僚との集会でのやりとりだった。画面越しに見ていると、被災地住民は、自分の生命や生活が脅かされる中、なんとか光明を見出したいとの思いで声を発している。言葉として話されるのは要求や交渉の内容だが、そこには不安と不満がないまぜになった切実な叫びのようなものが内包されていた。

ところが、この発言を聞く官僚は、発話に内包された住民の思いではなく、発された言葉に反応していた。話が通じないことにもどかしさを感じる住民は、ますます大きな声で、身振り手振りを交えながら表現を大きくしていくが、官僚は、それには反応せず、文字に変換可能な言葉にだけ淡々と応じていた。両者のやりとりは噛み合わず、溝は深まるばかりだった。

一般に、世の中の多くの人たちは、言葉を正確に使うことが苦手だ。日常生活では、言葉を正確に使いこなせないながらも、とにかく言葉を発し、その裏にある思いをなんとか伝えようと四苦八苦する。シンボル(象徴)に頼るのではなく、イコン(類像)やインデックス(指標)を駆使するのだ。実際、親が子供を叱る場合、愚痴を言う場合、感謝を表明する場合、そこで伝えたいのは、話される言葉よりも、その背後にある発話者の思いだ。

一方、官僚、法律家、研究者など、言葉で仕事をしている人たちは、文字に変換可能な言葉、つまりシンボル(象徴)にこだわる。複雑なニュアンスを伝えようとする際には、言葉使いを微妙に変えることで対処する。そこでは、言葉の背後にあるものは、文字通り後景に追いやられ、発話された言葉のみが重視される。日本語という同じ言語を話していても、被災住民と官僚はまったく異なる言語体系の中で生活しているのだ。言語が違うと言った方が正確なのかもしれない。

しかし、翻ってみれば、こうした噛み合わないやりとりは、日常の至るところで生じている。文化の違う人どうしはもちろん、親子、夫婦、家族、友人などの親密な間柄ですら、発される言葉の意味を理解するのは困難だ。よく大人は子供に「ちゃんと人の話を聴きなさい」と諭すが、人が話している言葉だけを聞いていても、相手の言っていることはわからない。

相手が何を言おうとしているかを理解しようと思ったら、手持ちの情報を総動員しながら、まるで身体内に「CPU」(中央演算処理装置)があるがごとく、それをフル回転させて、推測しなくてはならない。情報量が不足していても、「CPU」の性能が不十分でも、推測は不可能だ。相手の持っているのと同程度の情報を持ち、相手が体験してきたことと同じような経験をしていなければ、人の話は理解できないのだ。

だから、ちゃんと人の話を聴くというのは、態度の問題ではない。私たちは、そもそも不可能なコミュニケーションを「可能」と信じて、日々挑戦し続けているのだ。


内なる声を聴く

私たちは、誰かが発話するのを耳にする時、発話された言葉だけでなく、その声音も同時に聴いている。一般には、言葉が意味を伝えることになっているが、声音の方が意味を伝えることも少なくない。

たとえば、「ありがとう」という言葉。通常は息を前に押し出しながら発話することで、感謝の気持ちを伝える。そんな「ありがとう」を聴くと、言われた方は清々しい気持ちになる。ところが、吐き捨てるように発話された「ありがとう」を聴くと、余分なことをしてしまったのかもしれないと自分がしたことを後悔したり、相手が何かに悩んでいるのではないかと心配したりする。同じ言葉からでも、異なるニュアンスを受け取るのだ。私たちは日々こうした「非言語コミュニケーション」を行いながら生活している。

声音は言葉で多くを説明しなくても、瞬時に気持ちを伝えることができるが、誤解を生むこともしばしばある。それは、声音には言葉と違い、辞書的な定義が存在しないからだ。たとえば、いじめや暴力、激しい叱責を受けた経験のある人は、言葉よりも声音に過敏に反応することがある。自分の存在を脅かすことにつながる声は、はっきりと記憶され、それに似た声を聴くと、瞬時に防衛本能が作動し始めるのだ。実際に話し手が意図していることはまったく違っても、恐怖の方が優先されてしまう。

精神分析者たちは、これらのケースに限らず、人間は誰もが過去に聞いた声に支配されながら生きていると考える*2。子供の頃に、親から何度も聞かされた言葉、先生や友人、上司や著名人などから聞いた印象的な言葉などが、声音とともに内声化されているというのだ。その多くは規範に関わるもので、「嘘をついてはいけません」、「感謝の気持ちを忘れるな」など、宗教や道徳と結びついている。ジェンダーに関わるものも少なくない。代表的なものをあげるなら、「お前、男だろ!」、「女の結婚は幸せ」などだ。

これらの内なる声は、私たちの精神状態や行動を支配しており、ポジティブ、ネガティブの両方向に作用する。たとえば、結果がどうなるか不安な時に、「人事を尽くして天命を待つ」という内なる声があると、落ち着いて行動することができる。私はアメリカにいた時に “Whatever you decide, that will be best.”(どんな決断をしても、それがベストの決断だ)と何度も言われたことがあったが、これが内なる声になってからは、かなり楽に生きられるようになった。

一方で、発話主が良かれと思って言った言葉でも、それが後々ネガティブな影響力をもつ場合もある。「お前、男だろ!」の発話主は、本人の頑張りを促すつもりだったかもしれないが、それが数年後に規範的な男性像にあてはまらない自分を責める声へと変わることがある。「女の結婚は幸せ」という声も、何か新しいことに挑戦しようという意欲を減退させることにつながったりする。私たちは普段このような内なる声の存在を意識することはないが、内なる声の支配に悩まされ続けている人たちは少なくない。内なる声に葛藤しながら、自分の意思とは無関係に、精神的に不安定になったり、暴力をふるってしまったり、法に触れることをしてしまったりする。

内なる声は、その存在が自覚されない限り、宿主の考え方や行動を支配する。それは恐ろしいほどの魔力だ。ところが、内なる声は、内なる声である限り威力を発揮するが、それがいったん外に出されると、力を失っていくという特性をもっている。内なる声を他人に聴いてもらい、その声を別の声へと語りなおしていくことで、内なる声の呪縛から逃れることができる。ただし、内なる声が誰なのか、それが何を言っているのかを突き止めるのは容易ではない。

そこで必要になるのが、内なる声を外に出し、語りなおしができるようになるまで、じっくり待つ他人の存在だ。うまく語ることができなくても、言っていることが理解できなくても、それを必死に聴こうとする人がいることで、内なる声は外の声になる契機を得る。言葉で語るのが難しければ、それを絵や音、踊りや芝居で表現するのでもよい。芸術のもつ「美的距離」は安心安全な場で語りを生み出し、それを語りなおす機会を与える*3

いずれにしても重要なのは、声にならない声を聴く人の存在である。聴くという行為は、人と人を分け隔てるだけでなく、人を救う契機にもなるのだ。


言葉にならない声を聴く

改めて《春の玉川上水》に耳をすますと、私が「玉川上水」のそばに住んでいた頃のことを思い出した。東京都立小金井公園の近くで、最寄駅は東小金井駅。当時はまだ開発が行われておらず、駅のすぐそばに畑があった。駅のプラットフォームも地面のすぐ上にある、とても質素な駅舎だった。

ある日、電車を待っていると、見知らぬ二人の会話が聞こえてくる。近所に住むおばあちゃんと、久しぶりにそこを訪れた孫娘のようだ。孫娘の声はほとんど聞こえないが、おばあちゃんの声はよく響く。時折「ほんとによく来てくれたねえ~」と言うおばあちゃんの声が聞こえてくる。ここだけがひときわ大きいので、否が応でも耳に入る。孫娘が話し始め、しばらく声は聞こえなくなるが、不意にまた、「ほんとによく来てくれたねえ~」という声が聞こえる。これが何度も繰り返されていく。

私は「そんなに何回も言わなくてもいいのに…」と内心苦笑していたが、何度も聴いているうちに、おばあちゃんの気持ちが毎回少し違うようにも思えてきた。回を追うごとに、来てくれたことへの感謝の思いが強くなり、やがてまもなく別れることへの寂しさがまさってくるように感じられたのだ。もしかしたら、おばあちゃんの発話の間合いや抑揚が少しずつ変化していたのかもしれない。歌のリフレインのように繰り返される「ほんとによく来てくれたねえ~」というおばあちゃんの声を聞きながら、言葉としては同じでも、その言葉を発しようとした思いは、きっと毎回少しずつ違っていたのだろうと思った。

初春の陽だまりで《春の玉川上水》を聴きながら、あの時のおばあちゃんと孫娘のことを思い出し、ほっこりとした気持ちになった。

  1. *1 トマス・トゥリノ『ミュージック・アズ・ソーシャルライフ—歌い踊ることをめぐる政治』野澤豊一・西島千尋訳、水声社、2015年.
  2. *2 Mladen Dolar, A Voice and Nothing More, Cambridge, MA: MIT Press, 2006.
  3. *3 Geoffrey Crossick and Patrycja Kaszynska, Understanding the Value of Arts & Culture: The AHRC Cultural Value Project, Arts and Humanities Research Council, UK, 2016. (https://ahrc.ukri.org/documents/publications/cultural-value-project-final-report/)

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