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奥村雄樹

OKUMURA Yuki

29,771日 – 2094943歩

2019年 出版物から走査され部分的に重ね合わせられた写真図版 寸法不定

Courtesy of MISAKO & ROSEN, Tokyo and LA MAISON DE RENDEZ-VOUS, Brussels

29,771日 – 2094943歩

彼方の男

2019年 マリア・ブルームとミシェル・クラウラとヘルマン・ダレッドとミシェル・ディディエールとルディ・フックスとイヴ・ヘヴァルトとカスパー・ケーニッヒとジャン=ユベール・マルタンとフィリップ・ファン・デン・ボッシュのインタビューを記録した映像の断片によるシークエンス/HDビデオ
116分15秒(予告編3分21秒)
上映日:12月26日 13:00 / 3月20日 13:00 前橋シネマハウス

Courtesy of MISAKO & ROSEN, Tokyo and LA MAISON DE RENDEZ-VOUS, Brussels

29,771日 – 2094943歩

2019年 切り貼りされた引用文の和訳 寸法不定

Courtesy of MISAKO & ROSEN, Tokyo and LA MAISON DE RENDEZ-VOUS, Brussels

ある日に微睡みで穴を穿つ
それから私たちは大きく跳ね上がり彼方の広がりへ飛び込む
私の目はどちらも奥が鈍く痛む
見えないコズミックレイを通り越して

男はこの彷徨う星の土を踏み歩く
盗まれた死に顔はジェイムズジョイスの
彼らが命とともに歩んだ隔たりをすべて合わせて
私は愛しき日々とまぐわう

同じであることと異なっていることとの異なりは同じ
長さ1000.01ライトイヤーズの通りがひとつ


死んでいる者たちが残してきた印
かつてこの土に降り立ったあらゆるマンカインドのすべての事柄
過ぎ去った出来事がことごとく記された紙束の中でいつまでも死を免れて
昨日の夜はうまく眠りにつけなかった

男は月を踏み歩く
やがて人々が何ひとつ思い出せなくなったとき
生まれて死んでいったあらゆる者たちのため
この広がりの虚しさはどれくらい?

同じであることと異なっていることとの異なりは同じ
長さ1000.02ライトイヤーズの通りがひとつ


そろそろ眠りにつく忘れればいい
それからマンカインドは彼方の広がりにまったく初めて入り込む
私の目はどちらもまだ痛む
コズミックレイは雨みたいに降りしきる

君がここにいればそれだけですべていい
ふたりで新しい何かになる


同じであることと異なっていることとの異なりは同じ
長さ1000.03ライトイヤーズの通りがひとつ

同じであることと異なっていることとの異なりは同じ
長さ1000.04ライトイヤーズの通りがひとつ

作家略歴

1978年青森県生まれ、ブリュッセルおよびマーストリヒト在住

翻訳者の特殊な主体性に触発されつつ異なるアーティストたち──しばしば奥村自身を含む──の作品と人生を重ね合わせることで世界の本質的な平行性と意識の本源的な相互連結性を探究している。近年は自身のパーソナリティを極限まで削減しようと試みた60-70年代のコンセプチュアル・アーティストたちの方法論に「私」の究極的な凝縮および拡張の契機を再発見しつつ彼方から響く彼らの声に耳を傾けている。最近の主な展覧会に「Na(me/am)」コンヴェント/ゲント(2018年)、「29771日–2094943歩」ラ・メゾン・デ・ランデヴー/ブリュッセル(2019年)、「彼方の男、儚い資料体」慶應義塾大学アートセンター/東京(2019年)、「曲折:肉体契約(番外編)」コラボラティブ・カタロギング・ジャパン/オンライン(2020年)などがある。

作品解説

机を挟み誰かと会話をしているように見える9人の人物が次々に画面に登場する。話されている内容は、ある共通する「彼」と呼ばれる人物についての回想のようだ。場面が変わっても中心は明かされないまま、その人物にまつわる断片だけが丁寧に豊かな膨らみを持つように順を追って明かされる。やがて、これは誰のことなのか、この話の聞き手は誰か、という疑問は薄らいでしまい、その断片は誰のものでもあり得る、とさえ思えてくる。これまでも奥村は作品制作や翻訳の実践を通して、ひとりの人物の主体性がそれだけで自己完結しない、複数に開かれた揺らぎを提示している。記憶やイメージが〈私〉を固定させず、解体と再構成を繰り返しているような感覚は、美術史や現代社会の新たな自己– 像をつくりだしているようにみえる。

奥村雄樹 アーティスト写真

奥村雄樹
1978年青森県生まれ、ブリュッセルおよびマーストリヒト在住

翻訳者の特殊な主体性に触発されつつ異なるアーティストたち──しばしば奥村自身を含む──の作品と人生を重ね合わせることで世界の本質的な平行性と意識の本源的な相互連結性を探究している。近年は自身のパーソナリティを極限まで削減しようと試みた60-70年代のコンセプチュアル・アーティストたちの方法論に「私」の究極的な凝縮および拡張の契機を再発見しつつ彼方から響く彼らの声に耳を傾けている。最近の主な展覧会に「Na(me/am)」コンヴェント/ゲント(2018年)、「29771日–2094943歩」ラ・メゾン・デ・ランデヴー/ブリュッセル(2019年)、「彼方の男、儚い資料体」慶應義塾大学アートセンター/東京(2019年)、「曲折:肉体契約(番外編)」コラボラティブ・カタロギング・ジャパン/オンライン(2020年)などがある。

音声が流れる作品があります。
ヘッドホンやイヤホンをご用意していただくと、
よりお楽しみ頂けます。