小森はるか+瀬尾夏美
KOMORI Haruka + SEO Natsumi
飛来の眼には
2020年 テキスト、小冊子、ヴィデオ、手記
サイズ可変(映像1:5分、映像2~4:各4分)
文:瀬尾夏美
映像:小森はるか
あの日、波に追われるようにして鳥は飛び立った。
春が来る前に北に帰って、秋にはまたここへやってくる。
それはただ、毎年のこと。
十年目の秋も、わたしはここへやってくる。
はるか上空から見れば、
いつだって変わらない風景がそこにあるから。
それでも、この十年はすこし特別であったとわたしも思う。
地上の目線に降り立てば、
さまざまなことがめまぐるしく変わっていった。
かつてのまちが波に攫われ、水が引けば被災物の山。
それらが片付けられると、まちあとには一面の草はら。
のちに土木工事で土色の世界。
嵩上げで造ったあたらしい地面に角張ったまちが整備されると、
家々が建ち並び、また草木が芽吹きはじめている。
そろそろ、これまで会った人たちを訪ねようか。
懐かしいという感覚を語り合うのに、
十年の月日はちょうどいい。
わたしは久方ぶりに、高台の家の小さな池に浮かんでいる。
しばらくすると、あの日のようにおばあさんが出てきて、
あらまあ、と高い声を上げた。
わたしもいろいろ大変だったの、もう10年経つんだもんね。
津波でたくさん亡くなったけど、あのあと亡くなった人も多いもんね。
わたしもふたり看取ったの。
ほら、この写真見て。これがわたしの実家なの。
おばあさんは背後の棚から古びた写真立てを取り上げて、
こちらに見せてくれる。
そして、ここから数十キロ内陸にあるという彼女のふるさとの、
ずっと昔の話を淀みなく語りはじめる。
わたしの子どもの頃は、よく傷痍軍人さんが訪ねてきた。
それで母さんは、いつでも迎えられるようにって、毎日おにぎりを作って置いていたの。
わたしも子どもながらに、軍人さんたち苦労したんだ、
大変なんだって、わかっていたの。
戦争があったんだもんね。
津波もあったもんね。
それでもこうして暮らしてるんだもんね。
わたしは、津波直後の彼女を思い出す。
このまちはすべて失くしてしまった、
わたしは生き残ってしまった、と嘆きながら、
なくなってしまったものこそが必要なんだと話していた。
ふるさとを語る明るい声を聞いていると、
おばあさんが生きてきた時間がまた一本に繋がり直したのだろうと気がつく。
わたしは延々と続く語りに頷きながら、
ところで最近はどうですか、と尋ねてみる。
おばあさんはふっと小さく息を吸って、
まあ落ち込んだり、そうでもなかったり、そのときどきだ、と笑う。
今度はこのまちへ嫁いだころの話を聞かせてください、
と言うと、語ることはいっぱいあるから、
と言って庭先まで見送ってくれた。
わたしは上空へ高く飛び、
すこし南へと移動する。
海際の田んぼはきれいに整備され、
数年前から米作りを再開している。
その前までは大きな水溜りのようだった。
あるとき、わたしがそこへ浮かんでいると、
男に声をかけられた。
人を探していると言うので、
水の中を探してやったのだ。
誰もいないと告げた後の、
男の丸い背中を思い出す。
見つからないはずの人を探す男は、
まもなく亡くなったのだと言う。
嵩上げ地に出来たあたらしいまちを、あの三人が歩いている。
それぞれ別の道すじを選ぶから、互いに出会うこともないだろう。
海際の一角、市街地よりも一段下がったあたりを歩いているのは、
あの女の人である。
ほら、わたしたちもお店を再建したの。
こうして見るとあんなに高いのね。
いつも店の方にいると山並みに違和感があるんだけど、
ここならすこし落ち着く。
この線路を北にまっすぐ進んだところに実家があった、
たぶんあの球場の入り口の下あたりだと思うんだけど。
彼女はそう言いながらそちらの方向をじっと見つめ、
でもちょっと正確な位置はわからないなあと首をかしげる。
もちろん忘れたわけではないし、というよりも、
いつもあのまちや、あの人たちのことを思うんだけどね。
だからむしろ、昔よりも身近になったような気もするんだけどね。
でも、十年前のことは、そんなこともあったなあと思うようになった。
市街地から見る夕焼けは、
下のまちから見るよりもきれいだって、
ご近所さんが教えてくれたの。
わたしも、自分の店の前で見る空が一番好きだと思う。
なぜでしょうね、と彼女が問うので、
わたしは、空が近いからですかね、と答えると、
彼女は、そうかそうか、あの人たちともちょっと近くなったんだ、
と頷いて、そろそろ店に戻りますね、と右手を振って市街地の方を向き直る。
わたしも別れを告げて飛び立つと、
いつもより空の色が深く感じた。
津波の後、草はらのようだった数年の間、
山際の一角には弔いの花畑が広がっていた。
嵩上げされたその上のあたりを、
いま、ひとりの男と、
花畑のおばちゃんたちのグループが歩いている。
両者はとても近くにいるのだが、
すこしの時差で、顔を合わすことがなさそうだ。
肩を落として歩く男の様子が気になって、
わたしは彼の足元に降り立った。
懐かしくて、休みの日なんかは一緒に妻とここへ来て、
しばらく歩いたりするんだけどね。
道も変わったし、川も埋め立てられたし、住んでいる人も違う。
だからもう全然何も残っていないんだが、
それでもふたりで来たい場所ってここくらいしかないんだよね。
ずっと暮らしていた場所が
実際に埋め立てられてみてどうか?
と問うてみると、男は、
ああ、と息を吐いてその場に立ち止まり、
ここに住んでいたんだなあと思うだけさ、と言った。
いつかはこの辺りに住みたいねって話してるんだよ。
ほら、買い物に便利だからさ、と笑って、
妻に渡されたというメモをポケットから取り出し、
指先でひらひらと振る。
またな、と言って手を上げた男と別れた。
近づいてくる高いおしゃべり声で目を覚ますと、
まちあとに花畑をつくっていたおばちゃんたち。
誰かが、花畑はここらだったかしら、と問えば、
違う違う、あっちだよ、いやいやこっち、
と言い合ってなかなか進まない。
それぞれに腰を曲げたり膝を庇ったりしながら、
ゆっくりと歩いてくる。
花畑のとき、楽しかったねえ。あそこでいろんな人に出会ったもんね。
津波前はわたしたち、顔見知り程度だったんだけどね。
花畑をやっているうちに仲良くなって、いまもこうして一緒にいるんだもんね。
顔なじみのおばちゃんが立ち止まったので、
ここらにあの石が埋まっているはずだと聞きました、と伝えると、
ああそうだったかねえ、と目を細める。
やっぱり懐かしいですか、と問うと、
すごく懐かしいよ、と言ってため息を漏らす。
おばちゃんは、唯一変わっていない山の稜線を目で追うと、
“あの日”について訥々と語りだす。
わたしが、その話は初めて聞きました、と言うと、
あなたとももう長い付き合いになるのにねえ、と笑っている。
まだまだ話していないことはあるのでしょうね。
また来年の秋にお会いしましょう。
わたしは誰かの敷地の草の陰で、眠りながら夕暮れの赤い空を待つことにした。
夜になろうとする空を飛ぶのは困難だが、
地上に灯る無数の光を見れば、ここに生きる人たちの息遣いが感じられる。
わたしはこの光景が好きだと思う。
鹿の群れが街灯に照らされて、長い影が跳ねるのが見える。
激しい土木工事で棲み家を追われたのだろう。
彼らの行く先に、あたらしい棲み家は見つかるだろうか。
このまちにその余白は、ちゃんとあるだろうか。
ここからは、懐かしい人をひとりひとり訪ねよう。
会えない人もいるだろうが、それは仕方のないことだ。
ついに再開された日常は、とても忙しないのだから。
高台に自宅が残った人は、いつかと同じように夕飯の準備をしている。
お元気でしたか、と尋ねると、おかげさまで変わりないです、と笑う。
すこし皺が増えた目元は、
遺影で微笑む彼女の母親にずいぶんよく似ていると思う。
嵩上げ地の外れにオレンジ色の光、真新しい家がポツリと建っている。
その玄関先で手を振る人の腕には丸い赤ん坊がいて、
右膝のあたりには小さな男の子が隠れている。
この下にまちがあったのを知ってる?と尋ねると、
男の子はコクリと頷いて、お父さんとお母さんが生まれたまちだ、と答え、
母親の顔をじっとのぞきこんだ。
本当にあちこち、もうほとんどと言っていいくらいの小山が削られて、
新興住宅街が造いくつも出来た。
まったく同時期に整備されたまちなみは、
どこも似ていて見分けがつかない。
どこかの高台の、どこかの曲がり角で、
わたしを待つ人がいるはずだ。おうい、という声が聞こえる。
あちらから、こちらから。
わたしはその声のする場所をあちこち巡っていく。
そのひとつひとつすべてに、語られるべき話があるというのだから。
ここは確かにあのまちか、と問う声には、
当たり前だ、だからわたしはここに来るのだ、と答えてやる。
明け方の空気はとびきり澄んでいて、旅立ちにちょうどいい。
わたしは白く巨大な堤防から、濃い青色の海を見ている。
小船が沖へ出ていく。
水平線から昇る日を背にして、わたしは北へ飛び立った。
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砂粒をひろうーKさんの話していたことと、さみしさについて
2013年 ヴィデオ
23分 作家蔵
上映日:12月12日 13:00 前橋シネマハウス
制作:小森はるか+瀬尾夏美
テキスト・ドローイング:瀬尾夏美
撮影・編集:小森はるか
2011年4月、大津波から間もない陸前高田のまちで出会った陸前高田のおばあさん(Kさん)。
その後の約1年間、おもに瀬尾が聞き手となって毎月お話を伺い、その様子を小森が映像で記録していた。また、瀬尾はその度ごとに、彼女の語りとその傍らにあった風景の変遷をテキストとドローイングで記述しており、それらと記録映像をあわせ、作品としてまとめた。
波のした、土のうえ
2014年 ヴィデオ
68分 作家蔵
上映日:12月12日 13:00 / 1月30日 13:00 前橋シネマハウス
出演:阿部裕美、鈴木正春、紺野勝代、瀬尾夏美
テキスト:瀬尾夏美
撮影・編集:小森はるか
2014年、いよいよ復興工事が本格化。それは、馴染み深い山々の稜線を削り、かつてのまちがあった元の地面に10メートル以上もの嵩上げを施す、巨大な土木工事であった。
風景が塗り替えられる前に、まちの人たちと一緒にかつてのまちあとを歩き、この場所に立つからこそ思い出される記憶や、いま抱えている感情などについて、話を聞かせてもらう。そして、そこで語られた話をいったん瀬尾が引き取り、一人称語りのテキストに起こす。さらに、そのテキストを本人とともに再調整したのち、朗読をしてもらい、小森がその声を頼りにして、陸前高田で撮影してきた映像と重ねた。本作は、おもに住民3名を中心として描いており、それぞれ、「置き忘れた声を聞きに行く」「まぶしさに目の慣れたころ」「花を手渡し明日も集う」という3章で構成した。
声の辿り/二重のまち
2017年 ヴィデオ
19分 作家蔵
上映日:1月30日 13:00 前橋シネマハウス
制作:小森はるか+瀬尾夏美
出演:阿部裕美、村上大介、佐藤徳子、河野みさ子、小野文浩、井筒雄一朗、菅野咲子、照井由紀子
『二重のまち』作・瀬尾夏美
撮影・編集:小森はるか
録音・整音:福原悠介
2017年、復興工事が進み、嵩上げ地の上にあたらしい市街地が姿を現しはじめる。
瀬尾が書いた『二重のまち』は、震災から20年後の2031年に、かつてのまちや亡くなった人びとを思いながら、嵩上げで出来たあたらしいまちで暮らす人びとを描いた、春夏秋冬の4章に渡る物語。それらをまちの人たちに手渡し、物語から想起するエピソードを伺いながら、関連する場所でそれぞれ朗読してもらった。ひとつの物語を契機として、ひとりひとりの姿と声、そしてあたらしいまちの風景が重なる。
作家略歴
2011年結成、活動拠点宮城県
映像作家の小森はるか(1989年静岡県生まれ)と画家で作家の瀬尾夏美(1988年東京都生まれ)によるアートユニット。2011年3月、ふたりで東日本大震災のボランティアに行ったことをきっかけに活動開始。2012年より3年間、岩手県陸前高田市に暮らしながら制作に取り組む。2015年、土地と協働しながら記録をつくる組織、一般社団法人NOOKを設立し、仙台に拠点を移す。現在も、風景と人びとのことばの記録を軸に制作と発表を続けながら、対話の場の企画と運営も行う。おもな展覧会に「キオクのかたち、キロクのかたち」横浜市民ギャラリー(2017)、「希望のうたと舞いをつくるー東京スーダラ2019」生活工房(2020)、「第12回恵比寿映像祭」東京都写真美術館(2020)など。巡回展「波のした、土のうえ」は陸前高田や神戸など全国10カ所で開催。
作品解説
陸前高田で撮影された3本の映像作品と、それらが制作されたあとしばらく経った2020 年に、再度関係者と会って制作された映像や言葉。原野のような風景とともに、登場人物の語りがそこで何十年も営まれてきた生活を、飾り気のない日常のありふれた言葉によって淡々と紡ぐ。出来事から十年ほどの月日が経ち、嵩上げの土に埋まったかつての街は懐かしさによって思い返されている。映像も、体を動かしながら話すときの仕草や更地になった土地を歩くときの表情をとらえ、つい見過ごしてしまう細部が輝きを放つ。彼(女)らはなぜ埋められることが分かっている花畑を大事に手入れし、よそ者の作家ふたりに語りかけるのか。話すことで癒されるのか、その言葉を聴いている私たちが癒されているのか。とても印象的なのは作品に使われる語りは、誰かの言葉だったことだ。地域の文化と個人の人称性が色濃い言葉が、その人のもとを離れ、複数の人々が共有する言葉になる。小森と瀬尾の二人は映像と物語が絡み合う新しいジャンルの表現を作り出しているのではないだろうか。
展示写真
小森はるか+瀬尾夏美
2011年結成、活動拠点宮城県
映像作家の小森はるか(1989年静岡県生まれ)と画家で作家の瀬尾夏美(1988年東京都生まれ)によるアートユニット。2011年3月、ふたりで東日本大震災のボランティアに行ったことをきっかけに活動開始。2012年より3年間、岩手県陸前高田市に暮らしながら制作に取り組む。2015年、土地と協働しながら記録をつくる組織、一般社団法人NOOKを設立し、仙台に拠点を移す。現在も、風景と人びとのことばの記録を軸に制作と発表を続けながら、対話の場の企画と運営も行う。おもな展覧会に「キオクのかたち、キロクのかたち」横浜市民ギャラリー(2017)、「希望のうたと舞いをつくるー東京スーダラ2019」生活工房(2020)、「第12回恵比寿映像祭」東京都写真美術館(2020)など。巡回展「波のした、土のうえ」は陸前高田や神戸など全国10カ所で開催。